2012/03/07

We Will Meet Again

It was a very sad day, and every heart in the house felt the deepest grief;
for the youngest child, a boy of four years old,
the joy and hope of his parents, was dead.
The sisters mourned as young hearts can mourn, and were
especially grieved at the sight of their parents’ sorrow.

家の中は、深い悲しみで一杯でした。 四つになる、いちばん下の男の子が死んだのです。
この子は、お父さんとお母さんにとっては大きな喜びであり、またこれから先の希望でもあったのです。
姉さんたちは、若い心を痛めて悲しみました。
お父さんとお母さんが嘆き悲しんでいるのを見ると、いっそう悲しくなりました。


Thus in her great grief she fell away from her faith in God,
and dark thoughts arose in her mind respecting death and a future state.
She tried to believe that man was but dust, and that with his life all existence ended.
But these doubts were no support to her,
nothing on which she could rest, and she sunk into the fathomless depths of despair.

お母さんは、悲しみのあまり 神様を見失ってしまいました。すると、暗い考えが、死の考えがしのびよって来ました。
人間は土の中で土にかえり、それとともにすべては終わってしまうという 永遠の死の考えです。
こういう考えににつきまとわれては、もうなに一つ頼るべきものもありません。
お母さんは、底知れない絶望の淵へ深く深く沈んでいきました。


In her darkest hours she ceased to weep,
and thought not of the young daughters who were still left to her.
The tears of her husband fell on her forehead, but she took
no notice of him; her thoughts were with her dead child.
With tearful eyes and mournful glances, the sorrowing daughters
and the afflicted husband looked upon her who would not hear
their words of comfort; and, indeed, what comforting words could
they speak, when they were themselves so full of grief ?

一番苦しい時には、お母さんは泣くことさえできませんでした。もう娘たちのことも考えませんでした。
お父さんの涙が自分の額の上に落ちてきても、目をあげてお父さんを見ようともしませんでした。
お母さんは死んだ坊やのことばかり思い続けていたのです。
家の人達は 皆、悲しみに沈んでうるんだ目と くもった眼差しとでお母さんを見つめるばかりでした。
お母さんを慰めようとしても、そんな言葉には耳を傾けようとはしないのです。
それに皆の心はあまりにも悲しすぎて、慰めの言葉を口にすることもできなかったのです。


It seemed as if she would never again know sleep, and yet it would have
been her best friend, one who would have strengthened her body
and poured peace into her soul.
One night, when her husband listened, as he often did, to her breathing,
he quite believed that she had at length found rest and relief in sleep.
He folded his arms and prayed, and soon sunk himself into healthful sleep;
therefore he did not notice that his wife arose, and glided silently from the house.

おかあさんは、 まるで眠りというものを忘れてしまったようでした。しかも、その眠りだけがお母さんの体を強くし、
お母さんの心の中に平和を呼びもどすことのできる 一番いいお友達でしたのに。
ある晩のことです。 今夜はお母さんは気持ちよくぐっすりと眠っているようです。
そこで、お父さんは両手を合わせてお祈りをしますと自分も横になってすぐに ぐっすりと寝込んでしまいました。
ですから、その後でお母さんが寝床から起き出してそっと家を抜け出して行ったのには少しも気が付きませんでした。


As she had sat by his little cot, so now she sat by his grave;
and here she could weep freely, and her tears fell upon it.
and in a moment her child appeared before her,
smiling, and more beautiful than ever;
with a silent cry she pressed him to her heart.

いまお母さんは、坊やの寝床のそばに座っていた時と同じような気持ちで お墓のそばに座っていました。
でもあの時とは違って、今は涙がとめどもなくあふれ出てお墓の上に流れ落ちました。
気が付いてみると、目の前に死んだ坊やがいるではありませんか。
その瞬間、お母さんは坊やをしっかりと胸に抱きしめました。 坊やはお母さんに可愛らしくほほえみかけました。
見れば前よりもずっと大きくなっています。


“My sweet, darling mother,” she heard the child say.
It was the well-known, beloved voice.
“There is nothing so beautiful on earth as it is here.
Mother, do you not see them all ? Oh, it is happiness indeed.”
But the mother saw nothing of what the child pointed out, only the
dark curtain. She looked with earthly eyes, and could not see as the
child saw,- he whom God has called to be with Himself.

「大好きなお母さん!僕のお母さん!」 という坊やの声がしました。
それこそ片時も忘れたことのない可愛い坊やの声です。
「地の上は、こんなに綺麗じゃないねえ。ごらんよ、お母さん。みんな見えるでしょう。あれは幸福というものだよ」 
けれども、お母さんには何にも見えません。 坊やが指差したところにも真っ暗な暗闇の他は何にも見えないのです。
お母さんはこの世の目でもって物を見ていたのでした。
神様が、おそばへお召しになった坊やのようには 物を見ることができなかったのです。


“I can fly now, mother,” said the child;
“I can fly with other happy children into the presence of the Almighty.
I would fain fly away now; but if you weep for me as
you are weeping now, you may never see me again.
And yet I would go so gladly. May I not fly away ? dear mother”
“Oh, stay, stay !” implored the mother; “only one moment more; only once more,
that I may look upon thee, and kiss thee, and press thee to my heart.”
Then she kissed and fondled her child.

「お母さん。 僕は今は 飛ぶこともできるんだよ。 
元気のいい子たちと一緒に、皆で神様の所へ飛んで行くの。 僕、とっても行きたいんだけど、
でもお母さんが今みたいに泣くと、お母さんの所から離れる事ができなくなっちゃうんだよ。
僕、神様の所へ とっても行きたいの。行ってもいいでしょ。」
「いいえ、いいえ、ここにいておくれ。ここにいておくれ!」
「ほんの、もう少しの間だけでも。もう一度だけでいいから おまえの顔を見せておくれ。
お母さんの腕にしっかり抱かれておくれ」 お母さんは 坊やにキスして、しっかり抱きしめました。


Suddenly her name was called from above;
what could it mean ? her name uttered in a plaintive voice.
Hearest thou ?” said the child. “It is my father who calls thee.”
And in a few moments deep sighs were heard, as of children weeping.
“They are my sisters,” said the child.
“Mother, surely you have not forgotten them.”
And then she remembered those she left behind ;
and she had nearly forgotten them, for the sake of him who was dead.

その時、上のほうからお母さんの名前を呼ぶ声が聞こえてきました。その声には悲しい響きがこもっていました。
「ほら、おかあさん。 お父さんが、ああしてお母さんを呼んでいるじゃないの」
それから少しすると、今度は深いため息が聞こえてきました。なんだかすすり泣いている子供の口からもれてくるようです。
「ああ、姉さんたちだ。 お母さん、姉さんたちの事忘れちゃいないね」 
言われて、お母さんはこの世に残してきた人たちのことを思い出しました。
お母さんは死んだ坊やのために、もう少しで皆の事を忘れてしまうところでした。


“Mother, now the bells of heaven are ringing,” said the child;
“mother, the sun is going to rise.” 
An overpowering light streamed in upon her, 
the child had vanished,
and she was being borne upwards.

「お母さん、今天国の鐘が鳴っているよ。 お母さん、今お日様が登ってくるよ。」
その時、一筋の強い光が お母さんの方に流れてきました。
坊やはいなくなりました。
お母さんの体はだんだん上へ上へと引き上げられていきました。


The Lord, in a dream, had been a guide to her feet and a light to her spirit.
She bowed her knees, and prayed for forgiveness.
She had wished to keep back a soul from its immortal flight;
she had forgotten her duties towards the living who were left her.

神様は夢の中でお母さんの足のささえとなり、お母さんの考えの光となってくださったのです。
お母さんは すぐにひざまずいてお祈りをしました。
「ああ神様! 永遠の魂を 勝手に私の側に引き止めようとしました事を どうかお許し下さいませ。
そしてまた、私には生きている人達への義務がありましたのに、それを忘れました事も どうかお許し下さいませ。


She bent over her husband, who still slept; her warm, devoted kiss awakened him,
and words of heartfelt love fell from the lips of both.
Now she was gentle and strong as a wife can be;
and from her lips came the words of faith.

お母さんは寝ているお父さんの上に身をかがめました。
お父さんはお母さんの真心込めた暖かいキスで目をさましました。
ふたりは心を開いて 胸にしまっている事を話しあいました。
お母さんは一家の主婦として強く優しくなりました。
お母さんの唇からは なぐさめの泉がわき出ました。


“Whatever He doeth is right and best.”
Then her husband asked,
“From whence hast thou all at once derived such strength and comforting faith?”
And as she kissed him and her children, she said,
“It came from God, through my child in the grave.”

「神様の み心がいつも一番よいものです。」 
するとお父さんがたずねました。 
「おまえはいったいどこで それ程の力とそれほどの心の慰めを 急にもらってきたんだね?」
お母さんはお父さんにキスをし、それから娘たちにもキスしをしてこう言いました。
「神さまからいただきましたの。 お 墓の中の坊やのおかげで。」


from "THE CHILD IN GRAVE" by Hans Christian Andersen 
「お 墓の中の坊や」 アンデルセンより


It's My Requiescat for the Victims
 of the Great East Japan Earthquake
 on March 11, 2011.

灯をともし、東日本大震災の犠牲者の死を 悼み


I want to light a candle and pray for them
and express my sympathy to the bereaved family.

ご遺族の悲しみが 少しでも癒える事を祈ります。



I believe
We Will Meet Again.


18 件のコメント:

  1. I very sad and yet beautiful story, Anzu. I like the sweet pictures you have chosen to illustrate it. My sympathy also to those who lost loved ones in that dreadful disaster. I, too believe we will again meet those who have left us in this mortal life.

    I especially like the picture of the big stone giant that has become an island giving home to life above the water. Is there a story behind the picture?

    返信削除
    返信
    1. I'm glad of hearing your sympathy to them and belief of our eternal life. Thank you ! All is images from site though I made some alterations on those.

      削除
  2. 返信
    1. Yes! Andersen, many of his stories are inspirational.

      削除
  3. あれから、もう一年たとうとしているなんて信じられないですね。11日は多くの人がまた、あの日の自分のことを思い出すのでしょう。私も祈ります。。

    返信削除
    返信
    1. そうですね。あの日、あの時 自分が何処に誰と居たか今でも鮮明に覚えています。あの日、あの時 自分があの場所にいても不思議ではないように思えるのは私ひとりではないと思うのですが・・・

      削除
  4. 胸が痛みますが、それでもなんて心を打つストーリでしょう。この物語は知りませんでした。思わず読み進みました。嘆き悲しみ、我を失い神を失い、そのどん底でまた神の真実を知り、いつかまた光り輝く故郷に戻ったわが子との再会を信じて、今ある意義と幸せを悟る・・・私もこれが真実だと信じます。
    素晴らしいポストをありがとうございました。

    返信削除
    返信
    1. 私はあの惨事をTVで見ているだけで街の様子を実際に見たわけではありませし、被災者とお話をしたわけでもありません。そんな私が彼らにできた事はほんの少しの寄付とお見舞いの品だけです。ですが、多くの人は人の想いを想像する事はできます。そしてあとは祈る事だけかもしれませんね。お言葉に感謝します。

      削除
  5. 私が18歳の時に弟が16歳で亡くなりました。私は多感な時、両親の悲しみも考えずに自分本位な悲しみに浸っていたような気がします。祖母、父、叔母、伯父・・・を見送るたびに悲しみに打ちひしがれましたが、そのたびに強くなった気もします。亡くなった人達が何か大切なことを残して行ってくれています。私たちの知らない世界で、この世のように囚われることなく自由に生き私たちを見守っていてくれるでしょう。アンデルセンの作品なのですね。C.S.Lewisの作品でもこのようなエピソードが描かれていましたが、この方がずっとわかりやすいです。 ご紹介ありがとうございました。

    返信削除
  6. ご家族は耐えがたい辛い別れをされたのですね。その悲しみは人を強くし彼らが何かを残してくれる事を知ると、私にも訪れる避けられないその日を乗り越えれらそうに思えます。私にもお話しして頂けた事ほんとうにありがとうございました。

    返信削除
  7. Wow, what a fine tribute Ann!! This was such a touching story..just beautiful the way you put this together!!
    My sympathy goes out to all those who have perished and lost loved ones. Thank you for such a moving piece~

    返信削除
    返信
    1. Thank you for expressing concern about the sufferers.
      It's awfully comforting.

      削除
  8. HI, Anzu! Thank you for your comment. I tried to send a comment to your latest post just now, but there was no place to comment. Are you aware of it? Or, is it only me who can't see "comment"?

    Yoko

    返信削除
    返信
    1. ついに花粉の季節到来で、花粉症でめげています。!!( *д*)=3 お返事遅れてすみませんでした。時々コメント欄を閉じるという好き勝手をしていて、驚かせてしまってすみませんでした。梅を楽しませて頂きとっても和みました。ありがとうございます。

      削除
  9. 花粉症、おつらいでしょうね。私は皮膚にくるようで、この時期はいつも皮膚はバリバリざらつき、化粧ののりもよくありませんが、何をいまさらと割り切っています。イネ科植物による目のかゆみは5月ころから秋まで続きます。杉花粉は遅くとも月末には落ち着くようです。お大事になさってくださいね。休息中に失礼しました。最近ブロッガーの不調で、いろいろなことがおこっていますので、念のために伺いました。

    返信削除
    返信
    1. ありがとうございます。春は何かとアレルギーが起きやすくなりますね。(´o`;
      Blogerは 度々設定変更をしているようで、私も戸惑う事が多々あります。

      削除
  10. Anzuさんも花粉症なのですか。私は息子を東京で生んで、突然に花粉症にかかりました。 29年の年季が入っていますよ。花粉症に対する理解がほとんどない時で、治療法もいまとは比べ物にならなかったです。まわりはしんどさをまったくわかってくれませんでした。今はオノンとクラレチンをのむとかなり楽にすごせます。奈良は杉の産地でよく飛んでいます。でも、今年は少し楽なようですね。

    アンデルセンのお話でお釈迦さまの寓話をおもいだしました。若い母親が赤ん坊に死なれ、毎日悲嘆にくれています。それを見かねた人がお釈迦さまに相談したらとすすめます。母親はお釈迦さまに子供を生き返らせてと頼みます。お釈迦さまは、だれも死んだ人がいない家族からカラシの種をもらってきたら願いをかなえてあげようといいます。母親は一軒一軒訪ね歩くのですが、誰も死で失ったことのない家族というのはついに見つけることができませんでした。訪ねて歩いている間に母親は少しずつ死を受け入れられるようになっていくのです。

    西洋と東洋の違いがお話の中にでてくるような気がします。Anzuさん、いつも本当に美しい挿絵をみつけてられますね。

    私は、17年前に父が亡くなり、数年後ニイニイ(猫の名前)が亡くなりました。、悲しんでいた時に、父がニイニイを抱いてわたしの夢のなかにでてきました。とてても幸せそうで、私もいつかはそこに行くんだと思ったのです。 "We will meet again" 本当にそうですね。

    返信削除
    返信
    1. お返事が遅くなり失礼しました。花粉症の辛さはアレルギーの無い方には想像がつかないでしょうね。まして良い薬がないとこの辛さ乗り越える事はできないですね。

      いつもお釈迦様のお話しを判りやすくして頂けて嬉しいです。とてもいろいろな事を知ってられますね。きっと死は生の対局ではなく、いつも側にあるものなのかもしれませんね。

      御父様と愛猫との再会は私も目に浮かぶようです。お嬢さんの悲しむ姿を見て「あまり悲しまないで、いつも側にいるよ」と愛猫と一緒に会いに来られたのでしょう。愛する人には夢にでも一目会いたいと思うものですね。このお話しを大切にしたいと思います。ありがとうございました。

      削除

Thanks for coming !